このようなお悩みにお答えします。
本記事の内容
- レーシックとは
- レーシック10年後の後遺症
- レーシックやらなきゃよかったと思った理由
- レーシック後遺症の対処法
こんにちは、はじめまして。
僕は2000年にレーシックを受けました。
いまはレーシックは有名ですが、2000年当時はまだレーシックを受ける人が少なかったです。
強度近視だった僕はレーシック手術を受け、術後1〜2年はその効果に浮足だったものです。
レーシック手術というのは、まだまだ普及してから20年強の日本では歴史が浅い手術法です。
僕は術後2年を過ぎるあたりから視力低下が始まり、やがて絶望するわけですが、今回はレーシック被害者を最小限にするためにもレーシックの恐ろしさについてブログに書き記しました。
レーシックの後遺症が出た方、10年〜20年後はどうなるんだろう?と不安な方は多いかと思います。
また、10年〜20年経過しても後遺症が出ないならレーシックをやりたいという方もいらっしゃるかもしれません。
こういった方々に僕の術後22年のリアルなレーシック術後の経過が参考になれば幸いです。
最後にはその術後22年のレーシックの経過報告と共に、レーシック難民になってしまった人の眼への対処法や今後の生き方を具体的に提示していこうと思います。
少しでもレーシック難民となってしまい、悩んでいる人たちの癒しの記事になればと思います。
レーシックとは
==ここから新宿近視クリニックさまの記事より引用==
レーシック(LASIK)とは、角膜にレーザー(エキシマレーザー)をあてて角膜のカーブを変え角膜の屈折力を調整することにより、近視・遠視や乱視を矯正する視力回復法のことです。
手術時間は両眼約10分程度で、手術時の痛みも少なく翌日には98%以上の人が1.0以上の視力に回復するという治療法で、 日本でも2000年に厚生労働省から認可がおりて以来、急速に普及して、1年間で約45万件のレーシック治療が行われています。
レーシック手術ではフラップと呼ばれるフタを初めに作成します。
角膜の上層部であるフラップをめくって、その下にある角膜実質にエキシマレーザーを当てて屈折力を調整します。角膜は眼の一番外側にあり、光を取り込みます。
光が角膜や水晶体を通過する際の屈折力が、強かったり弱かったりすると、眼の奥にある網膜に焦点を結びません。
そこでレーシックでは、網膜に正しく焦点を結ぶように、角膜にレーザーを当てて形を変えます。
==ここまで新宿近視クリニックさまの記事より引用==
こうして機械のレーザーで角膜を削ることによって、光の屈折を調節し、視力を矯正するのがレーシックです。
このレーシックは眼科医しか執刀してはならない決まりになっていますが、一時期、専門の眼科医の免許を持っていないにも関わらず手術に踏み切る医者もいて、社会問題となりました。
そして、レーシック難民というネット用語も派生し、レーシックをしたことを後悔する施術済みの方が大勢増えました。
僕もそのうちの1人と言えます。
レーシック10年後の後遺症
レーシック10年後の後遺症についてですが、正直のところレーシックして3年目くらいの症状と変わりません。
以下の後遺症と言える症状が常に続いているという状況です。
- 眼の痛みがしばしばある
- 動機がする
- とにかく眩しくて、外出時はサングラス必須
- ドライアイが今でも続いている (最初だけと言われていた)
- ハロー、グレアに悩まされている
- 夜は瞬きの際に光がビヨーンと伸びて見える
- 夜間に視力が低下する
- 術後に再び視力低下して結局メガネに戻る
- 視力低下したからコンタクトレンズを使用しようとしたが、コンタクトをしても合わない
- 疼痛で目が開けられない事も
- 圧倒的に瞬きの回数が増えた
先で紹介しているnoteにて、術後22年の経過の詳細をテキストで綴っています。
レーシックやらなきゃよかったと思う理由
画期的な技術だ!と僕は感動し、ネットと本で調べまくりレーシック手術を受けました。
かなり有名な病院です。ちなみに施術した医者の名前は施術後に渡された記録書には記録されておらず、なんでかな?と思ったものです。
こちらのnoteに赤裸々すぎるくらいに長年の施術後の記録を書き記しましたが、レーシックをやったことを僕は人生最大の後悔と言ってもいいくらい後悔しています。
どうしても、レーシックをしたいという人…私が実際に2000年にレーシックをして苦しんだ経験談があります。こちらです。これを読んでもまだレーシックしたいですか?逆にレーシックをしてしまった人には救いの記事となっているので、読んでみてください。
後悔した理由は以下のとおり。
- 2年しか視力がもたなかった
- 痛みやドライアイなどの後遺症は地獄そのもの
- コミュニケーション能力が落ちた
順に説明します。
2年しか視力がもたなかった
術後2年ほど、僕は20歳の頃に手術を行ったので、22歳になるまでは視力の調子がよく、裸眼で1.0以上を両目ともキープできていたため、満足していました。
しかし、3年目くらいから次第に眼の調子に異変がみられるようになり、視力低下、そして疼痛、ドライアイに悩まされるようになっていきました。
実質、手術の恩恵を得られたのは2年くらいだったということです。
痛みやドライアイなどの後遺症は地獄そのもの
痛みやドライアイなどの後遺症は、同じようにレーシックの後遺症に悩まされている方にしか分からないかと存じます。
急に襲ってくる疼痛、そして日中の眩しさやドライアイによる眼の乾き。
地獄と言っても過言ではない苦しみに毎日襲われるんです。
そしてそれは終わりを告げることはなく、術後22年経過した記事執筆時点の今でも同じです。
コミュニケーション能力が落ちた
ドライアイと疼痛があるため、眼を開けるのもしんどい時があり、それはコミュニケーションにも影響します。
例えば人と目を合わせて喋っている時にドライアイや疼痛に襲われた場合、目の違和感に耐えられず、まばたきが増えたり苦悶の表情になってしまうのです。
これは目をあわせて話している場合、相手にも伝わり、相手からしたら「はて?」ということになります。
こういった事が繰り返し起こると、人と対面で話すのもおっくうになり、コミュ障になりがちになってしまうんです。
これはレーシックをやった方の中で、僕だけではないのではないでしょうか。この苦しみの気持ちをわかってくれる方もいらっしゃるかと。
レーシック後遺症の対処法【22年の術後の経過記録あり】
術後22年経ち、後遺症に悩まされながらも僕が工夫している対処法はレーシック経験者【2000年に施術】の僕が術後22年後の経過を赤裸々に全て公開【人生詰んだと思う人は読んで欲しい】のnoteで紹介しています。
気になる方は読んでみてください。
ざっくりは以下の内容を詰め込みました。
- レーシックをやることを決めた経緯
- 手術の瞬間
- 術後22年の経過
- 痛みへの対処法
- 精神面のケア
- レーシック難民を乗り越える考え方
僕は術後22年ということで、日本ではかなり早い段階でレーシック手術を受けた方ではないか?と自負しております。
そしてインターネットのどこを探しても、現段階で術後22年後の経過記録は見当たりません。
先で紹介したnoteが初の資料になります。
当時信用がかなりあったのではないかと思われる「南青山アイクリニック」というところで手術をしましたが、まだ技術として今よりは設備的には確立されていなかったのかもしれません。
逆に今は当時に比べると技術が確立しているのか定かではありませんが。
術後22年経過した僕ですが、今どのような状態になっているのか?
noteに記された内容はこれからレーシックを受けようと思っている人の参考資料になると思います。
レーシックをすでに受けた人も自分が今後年月を重ねる毎に自分の眼の状態はどうなっていくのか?
気になる人も多いのではないか?という理由で「需要がありそうだな。」と判断し、noteを書きました。
有料にした理由は、ものすごく赤裸々に書いたからです。
本当にかなり詳しく赤裸々に経過の時間軸と共に書いたので、お得だと思います。そこまで高く設定していないですし。
医療関係者の方の参考資料にもなるかと思います。
どこにも日本で術後22年のデータはインターネットに転がっていないですからね。転がっていたとしても、ネガティブなことしか書いておらず、少しも救いの手を差し伸べていないんです。
これではレーシックで苦しんでいる人は余計悲しくなるだけです。
生きる希望がないじゃないですか。私は苦しい思いを今もしていますが、少しでも工夫して緩和させながらなんとかここまで生きてきました。
いま42歳。レーシックを受けたのが20歳。
25歳くらいからかなり眼がしんどくなってきました。
そしてこれからレーシック手術を受けようと思っている人へのメッセージも個人的に載せています。
レーシック難民となってしまった人の痛み、苦しみへの対処法も気休め程度かもしれませんが、書きました。
僕がどういう工夫をしてレーシックと戦って生きているか、など。
同じようにレーシックの後遺症で苦しんでいるという方にはぜひ読んでほしい内容です。
まとめ:レーシック10〜20年後の後遺症は?2000年に施術したレーシック歴22年の僕が語る
今回は、レーシック施術後10年後の後遺症について解説しました。
今からレーシックしようか悩んでいる方は手術は踏みとどまってほしい。
そしてすでにやってしまってレーシックの後遺症に悩まされている方は、先で紹介したnoteを読んで少しでも気持ちや眼を楽に生きてほしいという気持ちを込めて本記事を作成しました。
最後まで読んでくださって感謝いたします。ありがとうございました。